三陸鉄道とBRTと自転車でゆく!!
さんりく縦断輪行の旅  その2

釜石はアツい街だ!

そんなわけで、早速自転車を展開します。
建物もお花も、とってもきれいな釜石駅。

自転車もまだきれいだね。

まだとか言うな〜
まあ、これからの四日間色々あって
どんどん汚れてゆくのは事実なんですけど・・・。


さて、釜石はけっこう大きな街です。
その名の通り、かつては鉄鉱石の採掘でとても栄えた街で、
鉱山がなくなった現在でも大きな製鉄所が
街の中心に、というか超駅前で盛業中(笑)。

  

そのため、「東北の田舎に来たぜ・・・」という感じはあまりなく、
駅前にかっぱ寿司があれば、ケーズデンキユニクロまであります。
また、現在巨大イオンモールも建設中で、
さらには、期間限定であるものの一時期渋谷109もあったという、
かなりホットな街なのです。

ホットな街・・・・"釜"だけにな!!


はい。そんな大きな街なので、釜石には本来JR線だけでなく、
第三セクターの三陸鉄道 南リアス線が通っていました。
しかし、津波で被災したために2013年現在は釜石〜吉浜間で長期運休中。

駅舎は代わりに「さんてつジオラマカフェ」として営業中です。
ただし、本日(木曜)は定休日でした・・・。

本日の行程は、まず
この南リアス線の運休区間3駅分、釜石駅から吉浜駅までを自転車で走破します!
そして、そこから先は輪行し、綾里(りょうり)駅にある旅館に宿泊する予定。
はてさて、どうなることやら・・・・

おい、あんた!!! すごくちっちゃくなる自転車乗ってるなあ!

えっ!? は、は、はい!

いや、さっきから見てたんだけどよ、
こんな折畳みの仕方の自転車珍しいなあと思ってなあ!
あんたどこからきたの。こっちのモンじゃあないだろう。

と、東京から来ました。
ここから自転車で南下して、今日は吉浜まで行くつもりです。

ほお〜〜〜〜。
大変だぞ〜吉浜までは坂ばっかりだし、ずっとトンネルの中だからなあ。
若さだなあ〜、頑張れよ!
水分補給忘れんなよ!
力尽きたら俺の車に乗せてやるからな! ハッハッハ





あ、あの人タクシーの運転手さんか!びっくりした〜〜
のつく人かと思った・・・!

見た目こわいけど案外いい人だったね。
それにしても、坂? トンネル? がそんなにすごいんだったら、
ほんとに乗せていってもらったほうがいいんじゃない?

ばか言わないの。タクシー旅をしに来たわけじゃないし。
それに今回、坂道に対する対策はちゃんと打ってあるから大丈夫。
(これについてはのちほど〜♪)

昼食は釜石ラーメンを食す

さて、腹が減っては何とやら。
何はともかく、無事釜石に到着したんだから、まずはお昼ご飯を食べようよ。

そうだね。
あいかわらず前日は深夜残業してからの、朝5時起き。
寝ぼけまなこなのに全てをノーミスで乗り継いで来れた私すごい。
朝ご飯もろくに食べてないし、まずは腹ごしらえしよう。

えーと、一度もバイクに乗ったことがないのに、
なぜか愛用しているツーリングマップル(笑)の東北版(今回購入した!)を見ると、
釜石には「釜石ラーメン」なるご当地グルメがあるらしい!

そこに行ってみない?

ご当地ラーメン! いいね。

そんなわけで、「釜石拉麺」ののぼりが最初に目に入った
こちらのお店に決めました。「新華園NAKAZUMA」さん。
釜石ラーメンで有名な新華園というお店の支店だそうです。

さすがお盆、というわけで、
孫を連れて帰省してきた子ども夫婦と楽しそうに食事を食べる
おじいちゃんおばあちゃん
、というグループが隣席にいてとても微笑ましかったです〜。

頼んだのはもち、釜石ラーメン
鉱山で働く忙しい鉱夫さん達のために、すぐに茹で上がって、さっと食べられるように
「極細麺」なのが特徴
なんだそうです。あっさりシンプルで美味しかったですよ。

このあっさり加減なら、このあとのサイクリングにも支障なさそうで良いね。

そうそう。こってり系は、あとでお腹に来るから・・・・
って、何を言わせるんじゃ。

新華園NAKAZUMA

自転車で・・・
JR釜石線・釜石駅から約10分
※時間は目安で、所要時間には個人差があります。

輪行おすすめ度 ★★★☆☆
素朴でおいしいご当地ラーメン

住所・営業日・駐輪場情報など
駐輪場は無いが駐車場の階段があるところにくくりつけておける

釜石市中妻町3-14-12


あの日の釜石を想う

食事後は市街地の中を進み、海沿いを目指します♪

ヒャーオ!久々の遠出サイクリング、楽しいぜ!


ストォォップ!なッ、なんだッ、あの地名わッ!!

お、女遊び...部…!? 最低だ!
ただし今回、私たちは直進ですのでこの地名に関して深く詮索しません。

ちぇ!! つまんねーの!

(地名の由来はいかがわしい意味ではないらしいです!)

 

そんな感じで、しばらく平和にサイクリングを楽しんでいたのですが、
海沿いに近づくにつれ、少しずつ普通の街の雰囲気ではなくなってきました。

わあ・・・・・。


更地の中に点々と建つボロボロの建物たち。
ベニヤ板で囲まれ放置されたままの文化会館。

テレビや新聞で度々目にしてきた光景ではありますが、
改めて目のあたりにすると、その異様さに言葉を失ってしまいます。
津波はどうやら、駅のあたりまで押し寄せたようです。

駅が綺麗だったのもそれが理由だったんだ。
よく見ると周りの電柱や道路もみんな新しくなっているね。

あ、丸みを帯びた昭和チックな建物を発見。学校かな?


と思ったら、これが釜石市役所でした。
このレトロなこじんまり感、私の好みです。



市役所の脇にある建物にはこんな表示が。
さきほどの市役所は少し高台にあったので、どうやらギリギリ津波の被害を免れたようです。

こんな高さまで津波が!? 人の身長と比べると・・・・あわわ・・・
そういわれてみると、この建物も1階部分の左側の壁に痛々しいある傷が残ってるね。


さてここで、釜石を訪れたらどうしても訪れておきたかった場所
ひとつありましたので、そちらに立ち寄っておきます。

"あたり"をつけて走ってきたけど、すぐに見つかってよかったね。

うん。
この階段を上がった場所は、「避難道路」と呼ばれる津波避難場所。

震災が発生してすぐの頃、この場所から撮影された津波の映像が度々テレビで放送されました。
見た事のない大きさの津波が、海沿いの建物全てを瞬く間に押し潰していく。
その衝撃的な映像は、多くの人の脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。

今回、せっかく釜石を訪れるのなら、あの映像の撮られた場所へ行って、
あの日そこで起こった事について、考えてみたいと思っていました。


その場所から見えたのは、テレビで見たまさにあの景色。
ニュースの映像と違うのは、そこにあった多くの建物やその瓦礫が綺麗に片付けられて
穏やかな海が眼下に広く見渡せる点です。


正直、興味本位で訪れたところはありました。

しかし、ニュースで見たあの惨劇が、今まさに自分の立つこの場所で起きたということ。
これは、想像以上にリアルな追体験であり、しばらく、ただ立ち尽くしてしまいました。

これから、自分には何が出来るだろうか。

今回の旅は、自転車を漕ぎながら、じっくり自分自身のこれからと向き合う4日間になりました。
(ただ、このことを延々とレポートしてもつまらないので、省略しますけど)

せっかく東北にやってきたんだ。現実を受け止めて、学ばなくちゃ。
今回の旅はここからが本当のスタート。避難道路の端にあった神社で道中の無事を祈り、先へ進みましょう。

ところで、近くにNHKの定点観測班がいたよ(カメラに"NHK 定点"と書いてあった)
こういう地道な努力の末に、ドキュメンタリー番組は作られるんだね〜。

釜石の現在

避難道路から下りて、自転車に跨がり先へ進みます。
先ほど上から見た通り、海沿いのほとんどの土地は更地のまま放置されていて、
およそここが市街地だったとは思えません。

奥に一軒残っているあの建物は、ホテルだね。
新築という訳じゃないだろうし、津波後にリフォームして復活したのかな? すげえ。

復興の第一歩として、頑張って欲しいね。


釜石市街地とはここでお別れです。
交差点を左折し「気仙沼・大船渡」方面へ。

予定だと、明日には気仙沼や大船渡に辿り着くのか。先は長いぞー!


このあたり、歩道がない…怖!
私のすぐ隣をひっきりなしにダンプトラックが通過していきます。ぞわっ

おいらたち、完全に邪魔者だねえ。

せめて復興の妨げにはならないようにしたいんだけれど…。
出来るだけ危なくないよう、安全運転しながら進みます。


港には、本当に何も残っていません。
あのダンプトラックたちは、港にあった色々なものを処分場へ運んでいるんですね。

 

途中、釜石大観音が見えました。
観音様には展望台もあって登れるようですが、この先も長いので今回は通過。

旧道で海岸沿いを進む

さて、吉浜へ行くためのメイン道路である国道45号線は、
この先を山の中の長大トンネルで貫き、二つ先の駅がある唐丹(とうに)地区まで一直線です。
しかしながら、自転車で長いトンネル(しかも、歩道があるかは不明)はあまりにも怖いのと、
せっかく来たからにはリアス式海岸を走りたいと思っていましたので、
旧道に曲がり、海沿いを走ることにしました。

さっきのタクシー運転手さんが言っていた長いトンネルは
もともと、回避する計画だったんだね。

うん。ちょっと遠回りになるけど、宿のチェックイン予定は19時。
今は15時10分。吉浜駅17時9分発の電車に乗れればOKだから結構余裕なはず。
そんなに急がずのんびり行こう〜。


旧道に入りまーす♪

狭い道ワクワク!!


・・・・旧道も結構な登り坂でした。

でも大丈夫、こんなこともあろうかと
 今回、ハンドルグリップを新しくしておいたのだっ!


この製品は、長時間握っても疲れにくい形になっていて、
かつ左右のエンドバー縦向きに握ることもできる優れもの!
縦向きに握るのは、登坂など腕に力を入れる漕ぎ方に向いているらしいです!!

おお、さっき言ってた坂道に対する対策ってこれかあ!!
こりゃあ期待出来るぞ!

うん。まあ見ててよ、私の勇姿。


そして、こんな登り坂をかれこれ30分。
新しくしたグリップのおかげもあるけど、
くじけずに一歩一歩着実に登れているさえちゃん。
ここ一年での上達を実感するね。

そーゆう、あんたは、
バッグに乗ってないで、自分で、歩きなさい!!!!


ぱぁ! ようやく坂の上に着きました!!
結局、旧道もなかなかの坂道でした。これで終わりである事を祈ります。
ここを右折して「本郷」方向へ。


先ほどまでは単なる山道でしたが、
いよいよリアス式海岸らしい、入り組んだ道になってきました。


ここで、身をもって危険さを示してくれている「路肩注意」の看板を発見。
気をつけなくちゃ


わあああ!! 素敵な景色!!
少し曇りがちだった空から久々に太陽が顔を出したと思うと、
眼下には青い海とリアス式海岸が広がりました。旧道を通らなければ見れなかった景色です。
やったー!


景色に見入っていると、ふいに眼下からガサガサ音。
よく見ると崖の中腹に野生の鹿がいました。びっくり!
あんな斜面で、よく立っていられるなぁ。

鎮まれ…!鎮まりたまえ!!

釜石旧道の絶景ポイント

自転車で・・・
JR釜石線・釜石駅から約1時間
※時間は目安で、所要時間には個人差があります。

輪行おすすめ度 ★★★☆☆
今回の旅の中で、すばらしい景色にはいくつも出会いましたが、このときのファーストインパクトは忘れられない思い出。

住所・営業日・駐輪場情報など
釜石市平田


ひと気のない峠道をえんやこら・・・

しばらく先へ進むと、また坂道が始まりました・・・。
リアス式海岸は、ただ入り組んでいる訳でなく、昇り降りも激しいということがわかった。

そりゃあ、そうだよね・・・・。
なぜ気付かなかったし・・・。


そして、先ほどまでの天気からうって変わり、今度は霧が出てきました。


霧もすごいし、とにかく人が通らない。
旧道に入ってからというもの、クルマに1台も出会っていません。
ちょっと怖い道。


うわっ!!!!
何かと思ったら漁業用のブイ(浮き)でした。びっくりさせないで・・・・

こういう謎のオブジェクト系だめだわー・・・。


ただし、霧の中も、慣れると結構趣きのある感じに見えてくるから面白いです。


そんなこんなで山中を走ること約1時間半。
16時35分、久々に集落に出ました。

いやー、長かった。駅はまだかね。


こちらは釜石市唐丹町の花露辺(けろべ)地区です。
ここは、被災地の中でもいち早く震災後の復興計画(低地住民の高台移転)が策定されたことで有名になりました。
このことは、地域住民同士の繋がりがしっかりしているということの証なんだそうですよ。

今どき、すごいね。隣の人が誰だかさえよく分かっていない
ウチのマンションとは大違いだ。

三世代の津波祈念碑が語るもの

花露辺地区を過ぎると、さきほど青看板に書いてあった本郷地区に入ります。
港沿いに、津波災害を伝え継ぐ石碑群がありました。
明治三陸津波、昭和三陸津波、そして3.11の津波です。

三陸は、この120年余りの間に三度も大きな津波被害を受けているんだね。
こわいなぁ・・・。

このあたりの地区では、かつての津波災害の教訓が今も語り継がれていて、
3.11の時も多くの方が迅速に避難して、建物被害は大きかったものの9割以上の住民が助かったそうです(!)。
「忘れないこと」の大切さを改めて感じさせられます。

さて、石碑群のうちの一番新しい、
3.11の碑には、地元の小中学生のメッセージが刻まれていました。
それぞれ個人名が併記されていたので写真の掲載は控えますが、

「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」
「がんばってしん災をのりこえて 自分のすきなことをやる。」


など、自然な口語体で書かれている子ども達のことばは重みがありました。
こうして、今回の教訓も次の世代へと語り継がれていくんですね。


ちなみにこちらは明治三陸津波の碑です。
(海嘯かいしょう遭難祈念之碑・・・奇跡的に私にも読めました)
この石碑は今回の津波で流されて破損し、このように本文が読めなくなってしまったらしいです。

それでも、津波を後世に語り継ぐという使命はしっかり果たしてる。
紙やCD、DVDよりも、一番長く後世まで残り続けるメディアは石なんだろうなあ。


このあたりは過去の津波で甚大な被害を出した教訓として
港と街の境目にこのような高い防潮堤が作られました。しかし、今回はそれをも越える津波が押し寄せ、
防潮堤自体も破壊されてしまったとの事です。

最後に人の命を救うのは、どんなに大きな建造物でもなく、人それぞれの意識なんだ。


そんなわけで、ようやく国道と合流。駅が見えた!!

駅に到着! したけれど・・・

17時00分、唐丹(とうに)に到着しました。
まさか、たったの3駅走るのにこんな時間がかかるなんて・・・。
ともあれ、17時9分の電車には間に合いそうで、よかったです。ふーー

・・・・さえちゃん、何言ってんの。
目指してたのは吉浜駅じゃなかったっけ。

あれ?

って、ああああと1駅先っ!?
時間やばいじゃん!!まずいよ!!


おおおおちつけ私・・・・。
私が目指しているのはもう一つ向こうの、吉浜駅でした。
写真でお分かりの通り、唐丹駅はまだ線路が復旧していません。

吉浜駅17時9分発の電車にはもう確実に乗れないので、
その次の18時54分発に乗りたいと思います・・・。
ま、まあ、到着後に大事な用事があるわけでもないし、
2,30分くらいチェックインが遅れてもたぶん怒られないでしょう。

社会人として、その考え方はどうかと思うけどね。

それにしてもこの唐丹駅、結構はちゃめちゃに壊れてる。
これじゃあ、運休も仕方ないねえ。

本当に・・・。
でも、同じ被災した路線であっても、復旧が始まってさえいないJR山田線やJR仙石線を思うと、
復旧工事が行なわれているだけでもよかったと思うべきなのでしょう。
三陸鉄道の全線復旧は2014年4月5日。復旧した南リアス線で再訪するのが楽しみですね。

よーし、力を振り絞ってあと1駅、いっちょがんばりますか〜!!

おーう!!

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